3/04/2014

楽しいね

私のブログに時々登場する孫達が存属するカラーガード(ウィンターガードやマーチングバンドの部活)の活動は日本でもこの頃は学校や公共団体や市都区施設のブラスバンド部と同じくらいに盛んになってきていると聞き及びます。


私が高校生であった頃の、今から50年も前の故郷の北海道空知郡にあった(今はとうも昔に廃校になってしまっている)田舎の高校では当時開校以来初めてという小さなブラスバンド部結成され、田舎暮らしの我々が身近に生の音楽に触れた初めての経験でした。
それはトランペット、トロンボーン、クラリネット、サックスが各2台ずつという、それはそれは小さい音楽隊でしたが抜擢されて部員になった者達は鼻高々といった風潮がありました。
昭和のべヴィーブーム世代の生まれでしたので、そんな山中の田舎高校もその頃の生徒数は多くて高校生全生徒は800人程いましたから、そのブラスバンド部が全高生徒に対する比からして、いかに小さな音楽部であったのかが伺えるというものです。
それまでは楽器を触ったこともない部員達の演奏はやっとドレミを合わせられるようになった程度のものであり、それは今も引き継がれて評判の高校音楽部門で優秀な成績を出した孫のシャーンが部員であった頃のオーケストラ部の演奏とは比較にも出来ないほどの不出来で不完全なものであったと記憶します。
どういった経歴をもってブラスバンド部員として選ばれたのかは多分その当時の音楽文化担当教員の好みと偏見でしかなかったと思われるのですが、音楽にいくばくの興味を持っていてさえ、さして此れと言った目立つ生徒でもなかった私が部員に抜擢された事はありませんでした。今では音楽部員に選ばれなかった事が幸か不幸かはなんとも云い難くもあります。
当時新しい物好きの私はカラーガードやマーチングバンドというものが他国では学校や私設団体で普通に活動していると聞き、しかもそれらはスポーツ競技としての一環であると知った時、スポーツを大の不得意とする私は、ある意味に衝撃を受けたのでした。その頃の私には「音楽、ダンスが文化というより、スポーツであるとは、どうしてなのか」と不思議に思えましたが芸術や文化は何時の時も相まみえるものであるとは感じていましたので、それはそうだろうとの感覚は捉えることは容易でした。

1967年の夏に初めて渡米した時期にワシントン州・シアトルでのプロ野球観戦の合間に最寄高校のカラーガードとマーチングバンドのパフォーマンスを観、
同じ年頃の若者達の美しい音楽と踊りをまのあたりにして、「こういう文化を知りたかったのだ!」と感涙したのでした。
47年間の在米生活の今、孫達があの頃の私を感動させたスポーツ部の一員として米国チャンピョンにまでなっての活躍をしているのを思うと、何故か私の心の隅に残されていた熱い想いを感じたりします。
音楽も芸術もスポーツも、それぞれに人への想いやら、感動やらを私達に与えてくれる神様からの贈り物ツールであります。

外にいつものリスが現れました。そろそろ私がアヒル達にパンくずを与える頃と見計らって出没したのでしょう。ペアのリスがチョコンと木に座ってこちらを伺っています。
リスといえば、昨日ネットでとても面白いリスの餌箱が載っていましたので、ご紹介しましょう。思いっきり笑えます。
馬のお面のようなフィーダーの口先が餌をホールドしているのでしょう。それが巧い具合に吊るされていてリスが餌を食べようと動く仕草で仮面をかぶっているかのように動く様を見るのはさぞかし面白いものに違い在りません。
これだと他にも色々な動物の頭の餌箱が楽しめそうじゃぁありませんか。

他に楽しそうなものにこのような自転車をかたどったピザカッターが。楽しいね。