9/13/2015

マイアミドルフィン

今日の日曜日がプロアメリカンフットボールのマイアミ・ドルフィンのゲームとあって友人宅で観戦ランチ・パーティーがあるというKristinaは朝5時起きでガタガタ、ゴトゴトと料理をし出し、お昼には大きなクロックポットにプルポークBBQを抱えてボーイフレンドのお迎えで出かけて行った。
他にもピッグ・イン・ブランケット(ソーセージが入ったパンのようなもの)やクッキーを焼いて持っていったようだ。

台所の汚れ物はゲーム観戦後帰宅してかたずけるのでそのままにしておいてねって云われても、午後まで放っておくわけにはいかないではないのサ。
「いいよ~、洗っておくよ。パーティー楽しんできなさい」といっぱしの解り顔で見送った私である。
一昔だと私が色々見繕ってパーティー料理を持たしてあげただろうけれど、今の私にはあとかた付けを手伝うのが精一杯というところだ。
彼女はもう大人だし、ちょっと不器用なところがあるけれど、結構料理上手で私の出る幕などない。

料理後の美味しそうな匂いが充満している我が家では夫と息子が私が作ったホットドックとサンドウィッチをさして味気無さそうに食べながらゲーム観戦である。
マイアミ・ドルフィンVsワシントン・レッドスキンの今日の勝敗は17-10でドルフィンの勝利。家族友人達は歓喜である。

この2,3年でフットボールゲームにはとんと興味が無くなってしまった私は本を読むことに専念することにした。
(サッカーにはかろうじて興味をもっているけれど。)
内館牧子女史のエッセイ集「見なかった 見なかった」を読み上げた。
先日メールオーダーしたうちの一冊だ。同年代の女性作家の考えを知るのは楽しいものである。それなりに面白かった。

先日は急に読書がしたくて紀伊国屋サイトの書籍リストを捲りながら思ったのだが、なんと私の興味の幅が狭くなったものやら、「これ、これ。こういうのが読みたいのよ」という気になかなか成らなくて、数ページのリストを3,4回行ったりきたりしながら探したのだが、本のタイトルを読むだけで、何故かゲンナリしっぱなしで、読欲が沸かないのであった。
椎名誠氏の奇行本とエッセイ対談集も買ってみたが、ことの数時間でぺラりと読み上げると左程の感慨も感動も沸かないまま静かに読み上げたといえる。

年を取ると物事の思考が感慨や感動に鈍感になるのだとつくずく感じられた。
あれほど面白いと思って読んでいた佐藤愛子女史の作さえ「あはっ、はー。正しくそうだ。面白いねェ」と手を叩いて読んだ頃とは随分違ってきて、「ふむ、ふむ。さもありなん。そりゃそうだ。」としか感じなかったのが本音である。
最近のテレビドラマなどはそのストーリーに不満だらけ「だからどうなの?」と先を見たくなくなってしまったりして、これはこれで哀しい。
何事にも興味をもって、感動し、行動出来た昔の乙女はもういない。
さて、この先はどうなるんだろう。困った問題である。