5/21/2016

雑談日誌 68才の私

昨日オーランドに戻って行ったデイヴィッドが次にいつ帰省出来るかわからないというので、「じゃあ、私達の方からデイヴィッドに会いに行くよ」と言いかけてグッと言葉を飲み込んだ。(ここから、車でたった3時間の処ではあるけれど)
もう何処にも行きたくないと考えてから暫くたつのである。
昔のようにホイホイと何処へでも出かけていく気力が無い。それを忘れて、つい「こちらから出掛けて行くから大丈夫」なんて口に出さんばかりの気持ちを冷静になって嗜める自分がいる事にはっと気付く。
危ない、危ない。出来ぬ約束はせぬ事に越した話は無いのである。
出来る事と、出来ないことが多々あるなか、年々出来ないことの方が多くなる。
主治医は「やりたい事をどんどんやりなさい。まあ、無理はしないに越したことはないけれど、体調の事は私に任せなさい」なんて都合のよい風に言ってくれる。それでいて私が体調を崩すと「無理は禁物と言ったでしょう」とくる。
そのサジ加減が私には解らない。
もう若くは無い、というだけで病人でも健康人でも無いのである。
考えているばかりで何もしないと結局は自分を駄目にしている事に等しいと他人は云うかもしれないが、今の私が若い頃の様に「自分の限界を試してみました」なんて悠長な事を言っている訳にはいかないのである。今の私の限界は死の世界に直通だから。
「臆病だね~、考え過ぎの頭でっかちだなぁ」と笑ってくれたまえ。
こうは言っても毎日をビクビクしながら生きている訳でもないのよ。
まぁ、要するに適当で、それほど信念をもって生きている訳でも無い、行き当たりばったりと云うところかもしれないわけ。
信念をもって毎日を行動している人は偉い。私なんか信念のㇱの字も持ち合わせてないもの、、。何を悩んでいる訳でもなし、テキトーに宙ふらりんと生きてる訳。これで良いのかなぁ、と思った時期が無いではない。が、結局「これでいいんじゃないの?」と自分に妥協をしていきているのだ。そうとしか自分に応えようが無いではないの。
あーヤダヤダ。孫に会いに行かないって事だけで、またアレコレ言い訳をしている私。これが68才の私。