9/13/2016

雑談日誌 当たるも八卦、当たらずも八卦

今朝も曇天の大雨小雨。
そんな天候でも火曜日の今日は管理会社の庭師がが―ガ―と草刈機に乗って作業に忙しいので、アヒル達も何時もの様にはスタンドバイしていない。(時間が経てば、またやって来るはず)

明け方、何やら遠い昔の学生である私が新宿駅界隈をウロウロしている夢を見た。一体私は何をしていたものか、何かを探していたようだが、何故そこへタイムスリップしたものか解らない。
新宿らしいと云う事で思い出したのだが、今ではもう其の頃の様子はこれっぽっちも無いだろうが、私が居たその当時の新宿は若人の街として進展途上にあった。
新原町田の学生寮に住む私達は都心に向かうには小田急で新宿に出たものである。
ある週末の事、新宿紀伊国屋書店に出掛けたそのついでと云うか、そんなノリで、当時人々に人気のあった「新宿の母」と云われている雑誌などにも取り上げられる事のあった、名高い手相占いの小母さんの長い行列に私も並んでみた。
特別に占いに興味があった訳では無く、今思うと帰宅の電車時間の待ち時間を利用しようと考えただけだったのかもしれない。

「500人に一人の手相である」と開口一番、私の掌を見て云った。
「今までには苦労が多かったのね。でも貴女の人生は30代で俄然幸運がもたらされ、良い晩年を迎えるでしょう。頑張ってお暮らしなさい」とも言った。
何せ長い行列であって、一人を占うのに5分程の短いものであった。
「はぁ、そうですか。ありがとうございました。」と私は言ったが、その占いに指して何の感慨も沸かなかったのは確かであった。
500人に一人の手相とは喜ぶべき事なのか、悲しむべきことなのかも定かではなかったが、「新宿の母」がそう云った理由は解らないでもなかった。
私の掌は、人に見せるのが恥ずかしいと感ずるほど、細々と筋が入っていた。「お猿さんの手みたいだね」と何度か友人達にも云われるほどに沢山の皺だらけの掌であった。
しかし、かといって私は苦労の暮らしを強いられていたとは一度も思った記憶は無い。
確かに私の幼少時代は母が病弱で入退院を繰り返していたせいもあり、親類の家に兄弟とはバラバラに預けられてはいた時代があり、又、祖父母に預けられた時期もあったりで、私という個人が幼少時代からそれなりに感性が強かったと云えるかもしれない。

あれから数十年も経った晩年の今、私のしわくちゃ手相は皺が薄くなり、昔ほど筋が目立たなくなってきている。
「やはり、占った通りになったでしょう?」と云われれば、そうなのか、そうでないのかは何とも言えない。
当たるも八卦、当たらずも八卦なのであるから、、、。

新宿と聞くと私は何故かこの時の占いの事を一番に想い出すのである。