9/17/2016

雑談日誌 秋の空

しっかり理解している訳でもなく、全体的にホンワリのみのアバウトな理解しかできない私の英語力でも、昨日一日は何時もの政治番組を見て過ごしたせいなのか、これまた何時もの過激発言をすショーマンであるトランプ共和党大統領選代表者のニュースを見続けたからなのだろう、頭の中が就寝時にはすっかり疲れ果てていたようだ。
ぐっすり寝たにしては何やら変な夢を立て続けに見たようで、スッキリの目覚めとは言えない。
今朝もキオニがニャウニャウとスリ寄って来て、何だか面倒くさい。
(何を要求しているのか、私にはさっぱり解らない)

昨日の朝と同じように今朝も青空が広がっているが、湿度が高いので、また昨日と同じで大雨が来るに違いない。
この亜熱帯独特の天候は草木の成長には大いに役立っているに違いないし、湿気はお肌には良いのだろうけれど、私は空気が澄み切ったカラリとした秋空に憧れる。木々の紅葉にも、秋を感じてみたい。
此処では無いもの欲しがりだが。

秋の空で思い出した事がある。
「低気圧や何やらで秋空は、夏空と同じくらい変わりやすいので、怖い。」と渡日の土産を配りながら、その友人は言った。
「帰国時の飛行機が大揺れに揺れて恐怖の中で、勤務日の都合とは云え、あぁ、私はどうして子供達を先に別便で渡日させてしまったものかと。今、死ぬのなら、せめて一緒に居なかったのかと、震えたものです。その後低気圧は収まり、私も無事帰国して子供達と嬉しい再会をし、こちらには家族全員一緒に戻ってきたその時は何ともありませんでしたけれどね」とも。
話を一緒に聞いていた同僚は口々に「家族か一緒にい無い時の想いは切実ですよね」と云っていた。
でも、そこで私独りが心の中で驚いていた。
いざ、自分の身に危機がせまったとしよう。その時私は自分の子供と一緒に死にたいとは決して思わないのである。
一緒に生きたいとは思っても、せめて其の危機から子供達だけでも逃れられた事に感謝するに違いないと思った。
その話を後に他の友人に話すと「そこが、貴女はアメリカ人性格なのよ。日本人の母はいつの時も家族の繋がりの方を取るのだもの、彼女が思った事の方が普通にきまってるでしょう。」と云われて、私はもう一度驚いたのであった。
自分の身よりも、子供達に多々の苦しみや悲しみを超えて生きて欲しいと思う事は’心身共に一つ”である事の方が大事なのだろうか。
確かに子供達に先立たれた人は「自分が代わってやりたかった」と思うだろうが、「自分が死ぬのなら、子供達も一緒に」と思うのだろうか。
生命と云うものの根本の考えにも国や文化、生活状態などで、人それぞれなのだなぁと何か吹っ切れない思いが今にも続いている。
人、個々の思考を尊重をすると云う意味で、この時の話はしなくなったので、今が2度目の事である。

秋の空の話から、生命の話を想い出した私はやはり変人なのだろうか。