9/16/2013

読書の秋ナノダ

読書の秋と云うことでもあり本棚を漁ったのだが、先日本棚から古本を一掃したこともあって、もう今は自分の本棚に読みたい本が見当らない。 そこであまり気乗りはしないのだけれど、電子書籍をタブレットで検索してみた。
 その中に無料の日本語オーデオブックのサイトがあったので、聴いてみることにした。 有志がボランティアでオーデオリーディングをしているのが素晴らしいとは思うのだが、そこはやはり話手のアマチュア音声が少し耳障りで話の内容を巧く感じ取れない。残念、そしてボランティアさん折角のご好意を受けられなくて御免なさいね。

古い話になるが、ずっと以前まだ私がホノルル在住の頃ハワイのラジオ日本語放送局で女性アナウンサーが向田邦子の「父の詫び状」を朗読していた時期があって、勤務帰途の車の中でその朗読を聴くのが毎日楽しみでならなかった事を思い出した。
しかし、インターネットやその他の手軽な通信機関が身近にある今の時代には、その時の私のような読書本放送を心待ちにしている人間はそういないのかもしれないし、私の知りえないところで、今の私の考えられるよりもっと面白い情報や会話で世は溢れているのかもしれません。
プロの美声で読まれたオーデオブックも書店に置かれてはいるけれど、本屋に行って購入するなら、紙に書かれた書物の方を購入するだろうねェ私なら。 
それだったらネットで本を購入すりゃあ良いんじゃない、と云われるかもしれないけれど、これが書店で手に取ってパラパラと捲って見たものと、ネット購入した本とでは満足感に大差が出るのは何故なのか。私のネット購入の本類は、いつも自分の選出力に落胆をしてしまう確立が高い。購入後に「この本にお金をかけた価値があったのかしらん」と残念感を拭えないでいる私がいるからだ。私は自分がケチな人間では決してないと思っているので、ただネット購入では金銭感覚がいまもって欠落している自分の購買力感覚に不信を抱くのが嫌なだけなのかもしれない。 

私の知り得る殆どの日本人在米者は日本語活字餓鬼を体験していると考えられます。
日常生活の中でTVコマーシャルであれ、街中の宣伝看板であれ、目聡く日本語をみつけると、少なからず自分の存在が認められたような安堵感を覚えるといった感じになるなのかもしれない。 
文字、言語、情報というのが人間の本質の最小必要生命力になっていると思う今日この頃の私の読書の秋、駆引き無しで読みたいと思える本にめぐりあいたいなぁ、、。

今朝はJohnnieを空港に迎えに行かねばならないので、Davidを久しぶりに高校へ登校運転して車をキープしたが何となくアイドリングの調子が悪くエンジン音がブレるので、運転要注意。
Donが帰宅したらちょっと点検してもらう事にします。
昨日、今日と雨空で、裏庭のプリメリアが雨で散ってしまったらちょっぴりピンク色が無くなった分さびしい。
さ、元気出して出かけてきましょうっと。