11/05/2014

占いのお話

18才の頃だったと思う。
当時私は町田にある桜美林大学寮に在住していて、何かと小田急線を利用しては新宿をホッツキ歩いていた。
同じ寮生でもちょっとお洒落な人達は渋谷や原宿に出かけていたが、私は新宿の紀伊国屋書店、伊勢丹、高島屋や食事処オリンピック(今はとおに閉店しているそのまた一昔には私の亡母も通ったというカレーの元祖店)を拠点に動いていた。
当時からは物凄い様変わりしている新宿の街角で、その頃「新宿の母」と呼ばれる名高い手相占いのオバサンの列の並んで、手相を見てもらった事がある。
私の掌を見て「貴女は苦労してここまで来られたのですねぇ」と云った。
そんな苦労生活をしてきた訳ではないと思っていたが、「ええ、まァ、、、」と応えておいた。
私の掌は他の人には余り見られないほどに沢山の細かな皺がついていて、幼い頃には友人達には「猿の手みたいだ」と馬鹿にされた事もある。
「でもね、これは500人に一人という幸運の持ち主の手相です。今までの苦労は報われます。特に30代になる頃は良い生活をしている事でしょう。11月産まれの貴女は器官が弱いので、気管支炎などには充分注意が必要です。」とこのように2,3分の会見であった。
今、還暦をすぎての私の掌は以前に見られた細かな無数の皺の多くが薄れ、特に変哲も見られない一般的な感じになっていて「猿の掌」ではない。
喘息性気管支炎に悩む今、ゼイゼイと咳き込む度にあの占いオバサンの予言を想い出す。「器官の病気には充分注意をしなさい」と。
だとしても、私の30代は幸運に満ちると云われたが、実際はそうだったのかな?何となく30代は普通に生活してきたが、それなりの問題点にも常に面して暮らしていたように思う。夫のリストラもその頃であれば、昇格もその頃といった風で。
それも確かとは云えないが、少なくとも大苦労を伴った生活では無く此れまでを暮らせたという事は、一応は当たったと云えるかも知れない。
当たるも八卦、当たらずも八卦である。

その30代の頃であったろうか、勤務先の友人と共に近所で評判になっているというベトナム人の中年女性に占ってもらう事になった。
物凄い癖のある発音英語で、言っている半分をも理解が不能であったが、やっと解かる単語を繋ぎ合わせて私が解釈したところによると、「貴女の将来は余り心配のあるものではありません。旦那さんは真面目で一生貴女に尽くしてくれるでしょう。ただ、貴女の人生は3人の子供に翻弄されるでしょう。」というもので、その3人に心当たりがあるかと聞かれたが「いいえ、私は息子が一人いるだけですし、甥や姪にも3人はおりません。私の周りには3人の子供がいる環境はありません。」と答えた。
家に戻って、色々考えあぐねたが、3人の子供に心当たりはなく、もしかして3人というのは私自身が3人兄弟の末だからと云う事なのだろうかとも思った。しかし、私は二人の兄とは仲違いをしている訳でもなく、どちらかと言えば、交友的関係にあったので、はやり占い師の言葉は単なる戯言で敷かなかったわけだ、と思うようになった。
ところが、今にしてみると、果たしてあの占い師の云う3人の子供に翻弄される生活とは、私が今も一緒に生活を共にする孫達3人を親代わりになって育てるといった事情を読み当てていたのかと思えば思えなくも無い。
だとすると、占いが当たっているかどうかはその人の人生が終るその時まで、解からない事もあるのだろうから、やはり先を予言するなんて事は単にその個人の生活確率でしかないのではないか。
占いを信じて生きるのも、すっかり否定的に生きるのも結局はその個人の考えようなのだろうし、それで自分の人生がどうこうとするものでもなさそうだ。
私個人は普通にミーハーなので、娯楽や話題になる予測、予言、確率性なんかを見聞きするのは大いに歓迎であると云っておこう。
ただし、それで私自身の生活が左右される事は決して無い。
頼りすぎになる弱神経の持ち主では困るが、普通に一日を楽しくラッキーな気持ちになるのであれば、それはそれで善しの人生である。
さて、来年の羊の年には他にもどんな古い体験の実情が発覚できるものか楽しみでもある。

1 件のコメント:

kazuyoo60 さんのコメント...

当たるも八卦と言いますが、お孫さんの事は当たってたのですね。
花か羊か、やっぱり干支を意識なさったのでしょうか。