7/16/2017

夏の夜話 隧道

昨日は私がシッターをしていたので、ニャントリオは3匹共にずっとパテオに潜んでいて、夜になって皆が帰って静かになるとキオニの文句攻撃が始まった。
『ベービーを置いて行ってもいいよ。代わりに猫3匹と交換しようと云っているのを聞いたニャ~~。』とドンがクリスティーナに冗談を言っていたのが聞こえていたのだろうか。笑
イカイカとカーナーが現在同じ重量であるらしいのだが、私にはカーナーの方がずっしりと重く感じられて、これ以上大きくなると抱っこが出来なくなるのじゃないかと思われた。
今朝階下に降りると、キオニがまだ何やらフテ顔をしていて、何時ものスリスリをしにやってこなかったが、アシュリーとイカイカは『おはよ~ニャ~~』の愛想を振りまいていた。

😹🙀😹🙀

日本では東京でも北海道の帯広でも摂氏36度の暑さだったんだって。
このペンブルックパインズ市と同じ暑さだ。
西海岸のLAでは40度越えの所もあったらしい。
海岸沿いでは沢山の人々で賑わっているらしいけれど、暑すぎる。
それに多くのシャークが出没して怪我人も出て大変だとローカルニュースが流れている。

🐟🐟🐟🐟

暑い夏の夜話としてトンネルの心霊スポット探検という動画が放映されていた。
信じる信じないは別として、気持ち悪い場所にわざわざ行ってみると云う精神状態を好む趣味は私には無い。何ともお粗末動画だ。
怖いと思えば怖くなるし、何とも感じないと思えばちっとも何ともないというのが私の考えであって、人間の脳内深層心理の問題であるのじゃないのかと思う。
トンネルの話でいえば、子供の頃に近道として廃坑の真っ暗な隧道を何度か渡った事を思い出した。

私が小学校低学年であった頃の事、北海道空知地区の三井、三池、住友炭鉱は昭和初期の大繁栄が過ぎ、次第に落ちぶれて行く途にあった頃の事である。
其の頃、歌志内の文殊に実家があり、山向こう街の上砂川には炭鉱関連に従事していた親類の家があって、その辺の交通事情はまだ数時間毎にバスが一本という状態であったので、毎日がこれといって楽しい遊び事にも出会わない私と兄達は上砂川の親類宅を徒歩で訪問して回ったものである。
山の谷間のグルリをぬって公道があり、隣町まではそんなに距離が離れていなかったのだが、徒歩だと子供の足にはなかなかの遠道であった。
ある日の親戚訪問の帰り道、廃坑のトロッコ車動がある隧道が山の近道であると従弟に聞かされて、それは探検に値すると考えてか、中学生の兄を先頭にもう一人の兄と私を控えてその従弟も一緒なって、いつ来るか解らないバスを待つよりもと山の隧道のトロッコ車線を通る体験する話にまとまった。
其の頃の私は生活体験も浅く、幽霊だとか、お化けだとかの恐怖心は一切持たないままであったのが、兄達の話に乗ったというところであったのだ。

真夏の暑い日であり、眩しいほどの光と緑の山間には、黒々とぽっかり口を空いているようなトンネルが見えた。
ただただ闇の続いているその隧道に入ると、そこはジメジメと水滴が落ち、幼い私の目は前後左右の感覚を失い、「おー、暗いねー。何にもみえないよー。」とお互いを確かめる掛け声だけを頼りに進んだ。
何分間を過ぎたのかは皆目見当がつかないまでもトロッコ車線を伝って闇雲に足を運ぶのに懸命な私は、その暗闇にも恐怖心のようなものは無かった。
無風状態であるらしいのに常に周りにはゴーゴーと音が響いていた。
そこが曲がりになっていたのだろう、急にゴーゴーの音が大音響になり闇の壁から黒い大きなものが飛びだした。
驚いて立ち止まった私達の側を2両の運搬トロッコがその先頭一両の中には鈍い光のカンテラを掲げている炭鉱夫の炭塵まみれな顔があった。
2車線らしい向こうの一方を鈍い光と大騒音を立てて私達の前から過ぎ去っていった。
「ここは、もう石炭運搬は取りやめになったと聞いていたのに、今でも少しは掘っているのかな」と従弟が言い「この隧道案外広いんだね」と下の兄が言った。

少しカーブが曲がったのがどうやら隧道の中心点であるらしい一個の裸電球がぶら下げられてい鈍い光を放っていた。そして、遠目に左カーブ先にトンネルの最終出口であろう白い自然光の穴が見えてきた。
先頭の兄が「あそこが出口だ。もう少しだ。」と私達を元気つけようとして口を開いたとき、その自然光の中からひと際鋭い光線がフワフワと浮くように上下していているのが見え出した。
怪しんで立ち止まる私達一団にコツコツという足音が近つくのが感じられ、「あ、誰か来たね」と私が言うまでは皆ジッとその光の上下を見つめていた。(のだと思う。)
徐々に近ずく足音にやや緊張して立っている私達の方へ、足にゲートルを撒いた兵隊服と見られる男の黒い影が大きく、濃くなりつつ段々と近くにやって来る。
私が目を堪えて見つめていたあのフワフワした光が男のヘルメット帽についている懐中電灯であると解った時は、「なーんだ、伯父ちゃんじゃないの」と安堵の声が出た。
「何だ?ノッコちゃんか?おい、皆して何処へ行くんだ?ウチからの帰り道だったのか。こんな暗い所を子供だけで来るなんて、危ないべ。出口はもうすぐだぁ、気をつけて帰りなよ」と何時もの見慣れた優しい秋田なまりの伯父の言葉に急に気が抜けた思いがしたのであった。
それにしても、いくら田舎とはいえ、偶然にも親戚の伯父に隧道の中ですれ違うというのが、何か不思議な思いがしないでもないが。
「炭鉱で大勢の死者が出たり、どの街でも次次に廃坑に追いやられたりするのがトンネルの中に出る兵隊さんの幽霊の呪いだというのは噂だけだよ」と兄がバツの悪そうな顔をしたのが、私より5歳年上の絶対的にリーダーシップをとっていた兄の存在を思い「あれ、兄ちゃんも幽霊がおっかなかったんだな。」と心の中で何かおかしかった。

その後私はもう一度その隧道の近道を通ったように記憶しているが、詳細を覚えていないのでそれは私の勘違いであったのかもしれない。
もう60年以上も昔の話で、もうあの地区には隧道も山道もすっかり取り払われるか無くなっているに違いない。(と思い、ここで一応グーグル検索さると上砂川・文殊鉱隧道↑↑が出てきた)
(昭和期の炭鉱落盤事故と廃坑状況、復員兵幽霊の噂、暗いトンネル、今では懐かしい子供の冒険心、これが私の夏の夜話である。

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もう一つの私の夏の夜話は、その一番上の兄が大学生となって上京していた頃で、成績優秀であった下の兄は市内の高校に進学するよりも、越境高校生として砂川の親類宅に身を寄せており、私が独り両親と実家に暮らした少ない期間の事であったと思う。
何故話がそうなったのかは忘れたのだが、母と連れ立って初めて映画館に行ったことがある。真夏の最中で、映画館ではホラー映画がかけられていた。
確か「恐怖の大振り子」といった題名の洋画であった。
私の母は病弱な人ではあったけれど、気性は強いらしく、所謂モダンガールといわれそうな洋画好きな女性であった。
母の見た映画の中では一番好きな映画はロシア映画でドストエフスキーの「罪と罰」であると話してくれたことがある。
主人公の罪に対するドキドキ、ハラハラな心境描写が何とも言えない興奮を呼んだのだそうだ。
映画からの帰り道に「怖かったけれど、あまり大した話でも無かったね」というのが私達の間で交わされた会話であった。
話の筋は陰気臭いヨーロッパの古城に住む暴君が美しい女性を捉えては殺害するといった内容の、ありきたりなホラー映画といった感じであった。
その数日後、私が独りで遊びながら何となくその映画の内容を考えていると、「のり子、止めなさい。気持ちが悪いよ」と母が私の手を掴んだ。
知らずのうちに私が手で胴体を切るかのような不気味な動きをしていたという。
「そんな事を真似ると、変な子供だと思われるよ。もともとちょっと変な子供のケがあるるものね。注意しなさい。]
そりゃそうだ。私ながらつまらない真似をしたものだと苦笑しながら、「私は一体何考えてんだか」と自分に言ってみた。
「別に貴女が何も考えて居なくとも、周りにそんな変なものが忍び寄らないとは限らないものね」と意味深な事を云う母であった。
病弱で過去には何度も三途の川を渡りそうになったと語る母の言葉には少しの重みを感じていた私であったので、以来大抵のホラー映画には感情がそれほど動じる事が無くなったのは事実である。

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怖いようで、ちっとも怖くない私の夏の夜話である。
いかがでしたか?やはりちょっと不快というか、気持ち悪いよネ。
しかし、皆さん。言っておきますが、私は至って今でも普通のオババです。

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